なおしっこのパズドラ思案

パズドラの重課金者が、パズドラのプレイで感じたことを綴っています。

他のプレイヤーの発言にみられる言葉の誤用や被害妄想

私は普段、パズドラのプレイヤーがどのようなことを考えているのかを知るために、twitterや、Youtubeや、いわゆる “まとめサイト” を閲覧している。閲覧の主な対象は、公式が発表した新情報に対する他のプレイヤーの反応や、他のプレイヤーの通常プレイ時の雑感である。

 

プレイヤーの発言の多くは、取るに足りないものである。発言者は、年齢も様々、社会経験も様々、思考の深さも様々、課金の程度も様々であるので、話が一方向にまとまることは期待できない。もし話が一方向にまとまったとしても、それはおそらく、課金をしていない人たちによる、自分が得をするための要求の叫びにすぎないものであろう。いわゆる「乞食発言」である。

 

 私はそんな意見を冷ややかな目で見ている。

 

他のプレイヤーがネット上で発言している内容には、言葉の誤用や被害妄想が多くみられる。言葉遣いからして、その発言者はおそらくは若い人であり、思考能力が成熟していなかったり、表現に注意していなかったり、感情に任せて言いたい放題をしたりと、様々な状況があるのであろう。

 

もし、それらのやり取りが日本語能力が高い者による “真実を知ったうえでの” 言葉遊びであるなら当人同士が楽しめればよいのであるが、ネット上では、そのやり取りをどのような他人が閲覧しているのか分かったものではない。“真実” や文脈が切り離された状況において日本語能力の低い者がその誤用を信じておかしな日本語を身に付けてしまうという弊害も出てくるであろう。

 

私はここで、ネット上で遭遇する確率が高い表現を挙げて、コメントし、純粋な気持ちのプレイヤーが他人の言葉の誤用や被害妄想から悪影響を受けないように、注意を促しておく。

 

「必須」のモンスター

「必須」という言葉がよく見られるが、真の意味で「必須」のモンスターは極めて少ない。ネット上の意見では、単に「所持していたら便利」という意味で「必須」と呼ばれている場合がほとんどである。そのモンスターを所持していない場合でも、大抵の場合は、多少能力が劣る代用モンスターがいたり、運やプレイヤースキルで切り抜けることができたりする。

例えば、「ラードラのサブに闇カーリーは必須」と言うのは誤っている。いたら便利というに過ぎない。「闘技場の周回には風神(ダメージ吸収無効化スキル)が必須」と言うのも誤っている。いたら便利というに過ぎない。

では、真の意味で「必須」という言葉を使うことができるのはどのような場合か? 例を挙げる。

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ディエイトロスのリーダースキルに注目

ディエイトロスのリーダースキルには、「ディエイクとアハトロスがチームにいると攻撃力が4倍」とある。これをみて、「ディエイトロスのサブにはディエイクとアハトロスが必須」と言えるだろうか? 言えない。これも誤りである。必須ではない。ディエイクとアハトロスをサブに入れなくても、ダンジョンに潜入することができるし、クリアすることもできるからである。

ここでもし「必須」という言葉を用いるのであれば、「ディエイトロスのリーダースキルの最大攻撃倍率を発揮するためには、サブにディエイクとアハトロスが必須」と言うのが正しい。「リーダースキルの最大攻撃倍率を発揮するためには」という限定事項を付してようやく「必須」という言葉を使うことができるのである。

このようなところまで考慮した意見はネット上ではほとんど見られない。

 

・ガチャで特定のモンスターを「狙う」

射的で的の中心部を「狙う」のであれば分かる。麻雀でより点数の高い役を「狙う」のであれば分かる。意中のあの娘に告白する機会を「狙う」のであれば分かる。しかし、100%が運要素で構成されているガチャにおいて「狙う」とは一体どういう意味なのか? 全く意味不明である。「狙う」というからには、試行者の実力が結果を左右する状況でなければならない。

ガチャの場合、表現としては「希望する」が適切であろう。

なお、「運も実力のうち」と言うのはとんでもない誤解である。「運」とは「実力」ではどうすることもできない不確定要素のことを言うのであるから、定義からして「運」と「実力」は互いに排反のはずである。従って「運も実力のうち」との発言は、自らの非論理性を露呈する行為にほかならない。

 

・「無課金モンスター」「無課金編成」

パズドラでは、課金をしなければ入手できないモンスターは存在しない(ただし、モンスターメモリー(旧アーマードロップ)を読み込んで入手するものは除く)。ネット上には、ダンジョンでドロップするモンスターを「無課金モンスター」と呼んだり、それらのみからなる編成を「無課金編成」と呼んだりする場合が多くみられるが、これらは表現が正確ではない。また、当人のプレイスタイルが無課金であるかどうかは、呼び方には関係がない。

ここでは「非ガチャ限定モンスター」「非ガチャ限定編成」とでも呼ぶのが適切であろう。

 

・「(最高レアが)モンスター交換所でタダで手に入る」

モンスター交換所が実装されて以降、コラボガチャや季節物ガチャの最高レアが、フェス限定モンスター四体と交換できるようになった。この状況を指して、交換所で交換して入手することを「タダで手に入る」と感じているプレイヤーがいるようだ。よく分からない発言である。

確かに、上記のとおり、課金をしなければ入手できないモンスターは存在しないのであるから、本当に「タダ」である場合もあるであろう。しかしながら、それは時間が無限にある場合の話であって、「長くプレイしていれば、いつかはきっと手に入る」というに過ぎない。レア度の高いモンスターを自分が欲しいと思うその時に入手するためには、強運または課金が必要なのが通常である。

「モンスター交換所でタダで手に入る」と言う者は、交換の弾を得るために過去に要した資源について、気が回っていないのであろう。または、義務教育の教科書は無料だと考えているような、想像力の働かない連中なのであろう。

 

・「ルーのスキルは空撃ちできない」

ルーのスキルが空撃ちできないのは事実であるが、スキルの空撃ちができないのは他のモンスターも同様である。ここでスキルの「空撃ち」とは、何の効果も生じないスキルを消費するために撃つことをいう。

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ルーのスキルはダメージ吸収無効のみ

ルーのスキルは、敵がダメージ吸収無効の盾を張ったときのみ使うことができる。従って、ダンジョンにダメージ吸収無効の盾を張る敵が出現しなければ、スキルの出番がないし、たとえ空撃ちできたとしても何の効果も生じない。

空撃ちできるかどうかが論点になるのは、ルーを他のモンスターにアシストしたときである。闘技場のようにダメージ吸収無効の盾を張る敵が出現しうる(出現するかもしれないし出現しないかもしれない)ダンジョンでは、その階層でその敵が出現しなかったときに、その場で空撃ちできれば、第一スキルを溜めなおすことができるのである。こういう状況になったとき、ルーのスキルは空撃ちすることができないので、第一スキルを溜めなおすことができない。そうした不便があるのである。

一方、同じダメージ吸収無効のスキルを有する風神は、事情が異なる。

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風神のスキルはダメージ吸収無効のほかにスキルチャージが付いている

風神のスキルは、ダメージ吸収無効のほかに1ターンのスキルチャージが付いている。従って、ダメージ吸収無効の盾を張る敵が出現していない状況でも、スキルチャージの効果が生じるので、スキルを撃つことができる。
ここで注意すべきことは、スキルチャージという効果が生じる以上は、これを「空撃ち」とは言わないことである。現にスキルチャージという効果が生じているからである。ダンジョンの終盤では、この1ターンのスキルチャージが命運を分けることもある。そんなときはスキルチャージが本体で、ダメージ吸収無効効果は無用のオマケである。そして重要なことは、風神と同時に編成している他のモンスターのスキルが全て溜まっているときは風神のスキルは撃てないことである。従って、スキルの 「空撃ち」は風神でもすることができない。似た事例として、HPが全開で誰もバインドされていないときに「完治の光」を使えないというものがある。

 以上のことから分かるのは、「ルーのスキルは空撃ちできない」という言い方は、ルーのみが何らかの欠陥を抱えているような印象を与えるので、不公平な表現である。スキルの空撃ちは、他のモンスターでもできないのである。

 

なお、「空撃ち」に関して、少々疑義があるモンスターがいないでもない。

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火ドロップに “変化”

ライラのスキルは「最下段横1列を火ドロップに変化」である。複数体編成し、一体目のスキルを使用して最下段横1列を火ドロップに変化させた後、二体目のスキルを使うことができるのか?

実は、できる。これを「空撃ち」と呼ぶかどうかは解釈が別れるであろう。二体目のスキル使用時は最下段が既に火ドロップになっているので、これが更に火ドロップに「変化」するというのは違和感がある。この状況でスキルを重ねて使用することができるのは事実であるので、「変化」という表現が適切でないとも言える。

 

・「L字ロック解除覚醒は、パズル前にロックを解除できなきゃ意味がない」

妙な発言である。覚醒スキルは元々、盤面を有利に調整するための能力ではない。覚醒スキルは、攻撃力を増強したり、防御を高めたり、盤面を荒らしから守ったりするためのものである。かつて、覚醒スキルによって盤面を有利に調整することができた試しがあったであろうか? 前例がないことを過剰に期待するのは勝手であるが、その期待が外れたからといってそれを不満として表明するのは幼稚である。

なお、もし「スキル」としてロックを解除するスキルがあったとして(実際、雷神のようにロック解除スキルがあるのであるが)、それがパズル後に発動するのであれば、「スキル使用後、パズル前にロックを解除できなきゃ意味がない」という発言は正当である。「スキル」はパズル前に盤面を有利に調整する能力として認知されていると言ってよいからである。

そもそも “L字ロック解除” は覚醒スキルの正式名ではない。正式名は「L字消し攻撃」である。その効果は、「自分と同じ属性のドロップを5個をL字型に消すと攻撃力がアップし、盤面のロック状態を解除する」である。攻撃力アップが主体であって、ロック解除はオマケ程度の認識でよいであろう。

 

・「HP倍率が高いリーダーは割合ダメージに弱い」

この表現は、最大HPが高いと割合ダメージを受けた後にHPを全快まで復帰させるのが大変であるという意味であろう。しかし、このように考えるプレイヤーたちは、現HPのバーの長さに騙されているのではないか?

例えばHP2倍リーダーの場合、現HPのバーの長さが全体の四分の一程度しかなくても、HP倍率がないリーダーの最大HP分は確保できているのである(例えば30,000程度はあるであろう)。この状態が危険であるというなら、HP倍率のないリーダーは到底使うことはできまい。バーの長さではなく、数値を見よ。

割合ダメージを受けた後の復帰については、HP倍率が高いリーダーに固有の問題というよりは、回復倍率のないリーダー全体の問題であろう。従って、「HP倍率が高いリーダーは割合ダメージに弱い」ではなく、「回復倍率がないリーダーは割合ダメージに弱い」とか「ダメージ軽減がないリーダーは割合ダメージに弱い」と言うべきであろう。

 

・「スキルボイス覚醒で覚醒スキル枠を使うのは馬鹿げている」

覚醒スキルの最大枠数は「9」であるので(超覚醒と武器アシストを除く)、そのうちの一つがスキルボイス覚醒で埋められると、その分そのモンスターが弱体化するという理屈らしい。しかしながら、そもそもあらゆるモンスターに覚醒スキルが9つ付くわけではないので、あたかも覚醒スキルが将来9つ付くことが当然であるかのような言い方はおかしい。「私は身長が178cmまで伸びるはずだった。○○が原因で成長が阻害された。」という発言に例えたらどうか。馬鹿げた発言であることが分かるであろう。

ゲームのルールは所詮は運営者の意思で何とでも決定や変更ができることであるので、身長の伸びの例えとは状況が異なるとはいえるものの、そうとはいえ、少なくともプレイヤー側にそのルールを決める主導権があるわけではないことに変わりはない。

 

・「ランダン自由杯は持ち物検査」

ランダン自由杯は、編成が固定されている固定杯とは異なり、プレイヤーが編成を自由に組むことができる。従って、多くのモンスターを所持しているプレイヤーが有利になるのは当然である。「ランダン自由杯は持ち物検査」という言葉を比喩として用いているのであれば、これはなかなかうまい表現である。

他方、これを他のプレイヤーへの嫉妬の感情を含めて言うなら話は別だ。ランダンに参加することは義務ではないし、自分が弱い点を衝かれるのが嫌ならその穴をなくす行動をとればよいのである。被害者面をするのはみっともない。

 

・「石10個ガチャにはついていけない。つまらない。パズドラを引退しようかな」

翻訳すると、「課金は避けたいけれどもパズドラを楽しみたい。しかし、多くの魔法石が必要なイベントにはついていけない。流行を楽しむことができないので、意味がない。馬鹿らしい。引退しようかな。」だ。

課金者に有利なイベントが開催されるたびに、この種の発言がみられる。似たような翻訳例として、「無課金の我々をもっと楽しませろ。」とか「課金者有利のイベントを乱発するな。」とかがある。

私はこうした発言をする者の普段の生活を知りたいものだ。ひょっとして、高級車や高級マンションの広告を見かけるたびに、自分には購入できないものだといって鬱な気分になったり、そういうものを販売するな!と腹を立てたりしているのであろうか?

手の届かないものを無理に購入することは義務ではないし、誰も強制してもいない。そんな状況の中、自分の身の丈に合わない物事が存在すること自体が気に食わないのは、自分が自己中心的で精神的に未熟な者であるからであろう。

世の中、金銭的にゆとりのある者が多くのことを思いのまま楽しむことができるのは当然である。上のような発言をする者は、実生活では「○○が欲しいけれども自分が手に入れるのは無理だ。つまらない。人生をやめようかな。」という考えに至るのであろうか?

 

以上、ネット上でみられる言葉の誤用や被害妄想と思われるものについてコメントしてみた。それらの発言者は必ずしも本気でそのような発言をしているとは限らないが、読者にとっては、それが本気であるのか冗談であるのかの区別はつかない。冗談であると一見して分からない発言は、冗談とはいえないからである。

おかしな発言に惑わされないよう、自分の考えをしっかり持つことが望ましい。

(終)